共存


政治的なコメントや世論に直結する意見は
あまり書かないようにしてるんですが
あまりにも理不尽な出来事があったんで書きますが
今日ある電力会社の前で
「原発反対」のプラカード持ってる
数人のデモ隊に遭遇しました
デモしては結構時間が短かったように思えるが
デモ自体は否定しないし、民主主義の思想にも
則っている事と、何よりも市民運動の一貫として
賛成できる
問題はそこじゃなくて
原発反対のデモが終わって
帰る時、迎えの車が来たんだけど
その車 、、 日産の「リーフ」、、、
あああ、あ、あ
あんた、それ電気自動車じゃん、、、
電力会社の前のコンビニで食ってたおにぎり
落っこちそうになりましたわ、、、

原発反対 反対とか言っておきながら、、
帰って、コンセントにプラグ差して
電気で充電してんじゃん、、、
間違ってないかい!?それ
火力や水力、太陽光、次世代エネルギーの
生産需要はまだ100%じゃないよ
言い訳できんぞ
自分は
原発がイイとか悪いとか
そういう論点の前に
底辺の根底の大枠をしっかり見つめてから
行動を起さないと中身が無いものになってしまう
ただのうっすぺらい乗っかり感情になってしまう
肯定や否定の話じゃない
論争する前の装備も持ってない
自分はテレビも見るし、風呂も沸かすし
携帯も受電するし、冷蔵庫でアイス冷やしてるし
電気使ってます、
原発事故を引き起こしてから
電力会社を攻め続けるのは
一体どうか???
薪で風呂わかして、炭火で調理して
TVもねぇラジオもねぇ (オラこんな村いやだ~)吉幾三
電気はろうそくかランタン。
そんな人だけ 文句言っていいと思います!
もちろん
被災した地域や被爆した人達に全くの罪はないし
反対運動をつづける事に意義があるのは十分分かる
しかし
「共存」という選択肢は無いか?
共存という天秤がバランスを保つときもある
(耕作物の獣鳥共存論のように)← 一例
「被災してないからそういう事言える」
という人が居るかもしれないが
それでは前に進めない
受け止めた上での理解の発言をし
その先に行動する順序じゃないと
一生解決しない
自分も 軽はずみな発言はしていません
原子力の危険性の知識を持った上で
コメントしています
何回も言いますが
肯定や否定の話をしていません
行動には責任が伴われます
責任とはその先の解決できる力を
問われます。
いま一度じっくりゆっくり
考えて行動して欲しいもんです